今、大相撲の論議が活発ですが、、、八百長相撲も人情相撲も同じで絶対に許すべからず!といっ意見は多いが、八百長相撲と人情相撲は別だと思う。どんなスポーツでも人間がやる限り、情的なものはあると思う。どんだけきれいな身であるのか?超潔癖主義の人々は100%情なんかかけるのは、八百長と同じだという。
人情相撲は心に内に秘めなければならないと思う。情をかけられた力士は情をかけられた事に恩義を感じて、目の奥で自分の不甲斐なさに涙し、さらに精進に励む事が必要だと思う。相撲という、だいたいいつも同じ顔ぶれで戦うスポーツは、他のスポーツとは少し違うと思うが、同じような場面はどんなスポーツにでもあると思う。対戦相手本人にも知られないように、、、
問題は、力士自身が昔からの人情相撲をはき違えて、昔から八百長やってんだからと、歯止めがだんだん聞かなくなってきたのではないかと思う。相撲界は外国人力士が増えて、また、日本の伝統などを理解しようとしない若者も増えてきたような気がする。日本人的な相撲界的な価値をしっかり教育する意識に欠けているのは現在の親方衆にもいえる事だと思う。相撲という貴重な伝統を、現代に根づかすためにも、相撲協会としても手放したり、大きく変えていかなくてはらないものは多くあると思う。伝統を守るという事は、ひたすら昔と同じ事をやり続けることでは無いと思う。
最後に、フェアープレーを主張しておれば、ただしい事言ってると、声を荒げて人情相撲も八百長も同じレベルで批判する著名人は滑稽にも思える。他人のやっている事を後から批判する事ほど簡単な事は無い!だいたい著名人の仕事ってそういう事なんだろうけど、、、
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